もう寝たいのに

自分の悩みがちっぽけだと思うことで救われるのか。

広大な宇宙に比べれば人の悩みなんてちっぽけなものだと、そういうニュアンスの言葉が慰めに使われているのを見る度に考える。

悩みがちっぽけなら、喜びも幸せも同様にちっぽけではないのか。虚しくなるだけだ。

むやみやたらに視野を広げてごちゃまぜの尺度で考えるのは危ない。この世界がより一層不気味に感じて正気を失う。まずは見えるものだけを見て、感じられるものだけを感じていれば良い。見えないものを見ようとしたり、感じられないものを感じようとしたりするのは元気なときだけにしてくれ自分。夜に考え事をすると眠れなくなるんだよ。

 

訳探し

農家の直売所に、大きな大根が2本と「訳あり大根1本100円」と書かれた紙切れが置いてあった。

1本はくねくねと曲がっていたので、それが「訳」だとすぐに分かった。

しかしもう1本はシャキッとしていて葉も立派。いろんな角度から観察してみたが、全く訳が分からない。考え得るのは裏側に傷があるとか、中がすっからかんとか、どれも持ち上げてみないことには確かめられない訳ばかり。

もっと大根の前で想像を巡らせていたかったのだが、あそこはいつも少し離れたビニールハウスの中からおじいさんが監視しているので不審がられる前に引き上げた。

小銭を持っていなかったことが悔やまれる。

 

あけましておめでとうございます

お題「時計はアナログ派? デジタル派?」

 

アナログ派。秒針の音が気になるので、厳密にはデジタル処理のアナログ時計派。

アナログ時計の利点は全体を把握できること。安心する。

時計に限らず、地図アプリで現在地付近が拡大されて目的地が画面から見えなくなると不安だし、電子書籍は本のどの辺を読んでいるかが分かりにくいから買わない。

デジタル時計の「23:59」から急に「00:00」に変わるのって薄情だと思う。夜更かししている罪悪感も相まって余計にそう思う。せめて「00/23:00/59」こうしてほしい。

 

正直者

今週のお題「書いてよかった2023」

 

自分が書いた文章を読み返すと恥ずかしくなるので薄目で見ながらスクロールしてみたけれど、大して書いてないし大したことも書いてなかった。

ここは弱音の掃き溜めにするつもりで作った。ここでは徹底的にネガティブになって、誰にも言えないことを吐き出してやろうと思った。読む人がいなくても、それが自分だけのものからネットに転がっている言葉の一つになれば、心が軽くなると思った。

でも結局、誰にも言えないことは自分にも言えないことなんだろう。

時間が必要なのかもしれない。

 

落とし物は想像力を刺激する

生垣の下に焦茶色のふさふさした塊が挟まっていたので、マウスか?いやあの大きさはラットか?などと思いながら駆け寄ったら、耳あてだった。拍子抜けだ。

最近急に寒くなったもんなー。耳あてつけるほどではないと思うけどね。

落とし主も、耳あてつけるほどではないと思って鞄にしまおうとしたときに落としたのかもしれない。だってつけてる間に落として気がつかないなんてこと、あるだろうか。自分の耳が冷たくなっても気がつかないくらいのぼんやりさんか。もしくはあの見た目に反して、つけていることを忘れるほどの軽量設計、通気性抜群の伊達耳あてか。あるいは、、、

拡散する思考に身を任せているといつの間にか家に着いていて、机に向かっていて、こんなどうでもいい文章を書いていた。あの耳あてを落としたのは自分みたいな人間かもしれない。課題は進まない。

 

何にも心配いらないぜ

今週のお題「体調が悪いときの過ごし方」

 

体調が悪いときは嗜癖に走る。

早く寝なさいと叱ってくれるはずの前頭前野が一番早く寝てるんだと思う。

そもそも長期思考ができないから、空いた穴をすぐに目先の快楽で埋めようとして、埋められるはずもなく穴は深まるばかり。

愚かなやつ。

 

仮説が2つ

この町は野良猫が多い。

10歩ごとに1匹の猫と出会う。

道端のブロック塀の上で、ただ目を細めている。

この町はおじいさんも多い。

10歩ごとに1人のおじいさんと出会う。

道端のベンチに腰掛けて、ただ遠くを見つめている。

 

学校に向かう途中で猫と出会い、帰りは全く同じ場所でおじいさんと出会う。

つまり、猫とおじいさんはなわばりを共有している。

合意のもとで交替勤務しているのかもしれない。

猫がある時間帯だけおじいさんに変身する、もしくはおじいさんが猫に変身するという説も有力である。